旅について

旅とは、スポットライトの重なる部分を知る作業であると、友人の友人が言っていた。

旅とは、スポットライトの重なる部分を知る作業であると、友人の友人が言っていた。ぼく自身は、旅に出る特別な理由なんていらないし、好きな時に好きなところへ行ければ良いと思っています。

前にも書いたように、「旅」それ自体に意味があるとは思っていませんし、妙な定義付けも不要と思っている単細胞です。

しかし、ときどき旅とはこうゆうものだ的な他人の意見を聞き、「そ、そうか」と思うことがあります。
Photo credit: Chris Chabot via FindCC

旅とは、スポットライトの重なる部分を知る作業である。

これは友人の友人の言葉です。

人間は環境の産物とは良く言ったもので、人は住む環境やつき合う人間関係によって形成されていきます。

東浩紀氏の著書「弱いつながり」にも、旅に出ても自分は見つからない。自分探しをしたいのであれば過去の属していた環境を徹底的に調べれば自ずと分かる。的なことが書かれていました。

一昔前、旅に出て自分探しをするのが流行った時代があった(?)ようですが、彼らは旅先で何か見つけたのでしょうか?

それはさておき、この友人の言葉は含蓄があるなと思いました。

人間はいくつものスポットライトの中で生きています。たとえば、企業で何十人もの部下を持つ課長の立場であったり、家に帰れば2人の娘をもつパパであったり。もしかしたら、ネットの中での人格というのもあるかもしれません。

それぞれの環境の中で、それぞれの役割を演じながら生きています。

旅に出ると、良くも悪くも環境が一変します。日本では考えられないような状況に身を置けば、発想や態度、感覚がいつものものと変わってくる場合が当然あります。新しい自分を知ると同時に、それは環境のせいだと言うことができます。

一方で立場や環境が変わっても、決して変わらない部分もあるはずです。「核」みたいなものでしょうか。仕事場でも家庭でも、インドでも変わらない自分。スポットライトが重なる部分です。

舞台の上で自分を照らすスポットライトの中心となる「核」の部分を知る作業として、旅に出るというのは効果的だと言うことを、友人の友人は言っていたのかと想像し、「そ、そうか」と思いました。

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